2012年5月4日金曜日

旅日記(南アフリカ、ナミビア、ボツワナ)


旅日記(南アフリカ、ナミビア、ボツワナ)

旅日記
南アフリカ、ナミビア、ボツワナ

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南アフリカ 出発地点喜望峰

 1月5日、アフリカ最南端、南アフリカの喜望峰を出発。
 旅行のテーマは「世界平和」。

 「世界平和をどのように実行するのか!?」

 まずは相手を知ること。気持ちをわかり合うこと。
 世界中で終わらない紛争はお互いを知ろうとせずに、それぞれの常識をぶつけあっていることが原因だと思う。
 実際、世界に出てみると、驚くほど考え方(生き方)の前提が誓うことが分かる。特に宗教と言うものがそれを難しくする。ちょっと宗教の話をし始めるともう止まらない。

 彼等 「お前は何教だ?」
 永尾 「特にどんな宗教も信仰していない」
 彼等 「お前は神を信じないのか?」
 永尾 「僕にとっての神様はいないよ」
 彼等 「じゃあ、どうやって俺たち人間は誕生したんだ!」

こんな会話が毎日のように続く。
 そこで、僕たちは本当に世界で止まない紛争の事情を分かっているだろうか?日本が平和だという常識をものさしに、世界各地で起こっている紛争の原因は本来は起こりえない非常識なことと思ってはいないだろうか?日本にいて、テレビや新聞だけでは分かり得ない、真実のほんの少しでも!それを見つけに10ヶ月、25000kmに及ぶ中国北京までの自転車旅行をスタートした。



南アフリカ 強風地帯の木

 自転車旅行の楽しさや難しさを左右するのもにはいくつかの条件がある。その最も大きな要素の一つが風。日本では台風のときにしか吹かないような強風が常時吹いているようなところもある。ここ喜望峰もその一つだった。
 そんなところでは木もまっすぐに育たない。当然大荷物で風の抵抗を受けやすい自転車は、そんな逆風では走れない。押して歩くことも困難なこともある。
 上り坂を登るのも辛いけど、「下りの無い上り坂は無い」という通り苦労が報われるときがくるが、風はいつまでもいつまでも逆風に襲われているような錯覚に陥る。
 この日は全体力を使い果たし、ボロボロになってやっと見つけた宿の門をたたくと一泊5000円。しかし、もうペダルをこぐ体力は無くこの日はthe end。一日の予算を500円で始めた自転車旅行の計画の無謀さを一日目から痛感させられた。

南アフリカ ボルダーズビーチのペンギン

 自転車旅行初日、あまりに強い風と、50kgを越す自転車の重量で完走を諦めてしまいたくなるほどに落ちこんだ。
 そんな夕方に僕の目に飛び込んできたのが、このペンギン達だった。僕でさえ立っているのがやっとなほど強風の中、じっと耐えて立っているペンギンに、僕は勇気をもらった。

南アフリカ 財布盗まれる


核の双星は何と呼ばれる
 南アフリカの治安の悪さは深刻なように感じた。
 どう見ても安全そうな広場で休憩していた時だった。一人の黒人が僕の近くに寄ってきた。そして通り過ぎる瞬間に、僕が狙われていることを小さな声で忠告してくれた。忠告通り、少し離れたところに立つ木の木陰では数人の黒人が僕を見ていた。
 実際、出会う人のほとんどが、僕の自転車旅行の危険さを心配する。だんだん不安が大きくなってきて、気持ちも引き締まった頃だった。

 スプリングボックという街を少し超えた辺りの小さな町だった。僕が止まった瞬間子供達が寄ってきて「どこから来たの?」などと言いながら、いつの間にか取り囲まれてしまった。サインを求められ、一人ひとりにサインをしていた。僕はそんな会話を心地よい交流と感じていた。� �通りサインが終わり、いざ目の前のスーパーで買い物をしようとカバンを開けるとあるはずのものが無かった。財布だ。

 子供達は「どうした?」、「財布が無いのか?」、「旅行は続けられるだろ!」などと言う。確かになくなった財布の中には小銭しかなかった。大切な生活費はお腹の腰巻に隠してある。財布がなくなっても旅行を続けるには大きな問題は無かったが、なんと言っても楽しかった時間を一瞬にして不快にされた僕の気持ちが許さなかった。そして警察に行くことにした。子供達に警察を聞くと、案内してくれる子と居なくなってしまう子がいた。

 警察の前で1時間ほどすると、村のほとんど全員の子供が集められ、独りずつ交番の中に連れられていった。部屋の中からは子供達の大きな泣き声、叫び声が聞 こえた。僕はなんとも言えない気持ちになった。ぼくが油断したばかりに、彼らを傷つけることになったのだ。これらの貧しい国では、盗むほうはもちろん悪い。ただ、油断して盗まれるほうも悪いのだ。
 
 最終的にはお金が返ってきた。サインをしてあげた子供達10人ほどがみんなで山分けをしていたのだ。

 もう一つ悲しいことがあった。実は財布がなくなったことに気が付いた瞬間、僕はある一人の子を疑っていた。サインも「書け!」といった感じで強引な感じの子供だ。警察が取調べをしている間もずっとその子を疑っていた。しかし、結局その子は数少ないお金を分けていないこの一人だった。自分の人を見る目の無さが情けなかった。そして、無実の子をうたがってしまったことは大きなショックだった。
� ��胸いっぱいの虚しさと一緒にこの村を後にした。財布を取り返してくれた警察が、僕の安全を気遣って1時間ほどパトカーで追行してくれた。


南アフリカ〜ナミビア 国境

 初めて自転車で超える国境だった。南アフリカ出国は少し拍子抜けするほどに簡単に済んでしまった。
 ナミビアの入管の人は少し僕の自転車を見てビックリしたようだった。「大丈夫か?」入管の人は聞いた。僕は聞き返した「何が?」。彼が言うのはライオンのことだった。
 僕は内心ホッとした。南アフリカでのこの質問をされれば、その言葉の意味はほぼ間違いなく治安についてだった。それがナミビアでは動物を意味した。国を超えることを実感する瞬間だった。そして次の質問の「どこへ行く?」に、僕は自信有り気に「ナミブ砂漠」と答えた。こちらのほうの答えはもっと不安そうに「大丈夫か?」と言う。
 この「大丈夫か?」の本当の意味を僕はこの時点では知らなかった。治安の悪い南アフリカ� ��抜けた僕を待っていたのは、灼熱乾燥の国だった。

ナミビア 日焼け

 乾燥の国ナミビア。南半球の1月は当然夏で、気温は連日40度の後半で、50度を超える日もあった。そんな国の紫外線は日本とは比較にならない。僕がなったのは日焼けと言えるようなものでなく大火傷。腕中が水ぶくれになってしまった。

 ナミビア入国初日。この日は初めてメイン道路を外れての未舗装のダート道。8リットルの水を自転車に積んで出発したがみるみる少なくなっていき、少しずつ不安になってきた。さらに悪いことに、メイン道路を外れたため車が通る気配はなかった。


キャンパスの言論の自由は許されるべきか?

 そんな状況の中でとうとう残りの水が1リットルをきってしまった。「進もうか、戻ろうか」と悩んだが、炎天下の下を自転車で動くことは危険と判断し車が通るのを待つことにした。休憩をしようと回りを見渡しても日陰になるようなところは一切ない。1台の車も逃すことが出来ないから、道路の真ん中にテントを張って直射日光を避けた。

 テントの中でも風が無いため、温室のようになっていき、僕の体力はじわりじわりと奪われていった。少しずつ少しずつ水を飲みながら待つこと3時間。残りの水もほとんどなくなって意識も遠くなっていたころ、1台の車がテントの前に止まった。車のドライバーは腕じゅう火傷の僕を見て「Sun is going to kill you!(お前死ぬぞ)」と何度も怒った口調で繰り返した。
 ドライバーは車に積んであった10リットル以上の水と食料をくれた。彼らも、万一の車の故障に備えてそれだけの用意をしていたのだ。そして昼に動くことの危険さを唱え、夜7時を過ぎてから走るよう忠告してくれた。
 その後も車は通らなかった。今、思い出しても恐ろしくなる、この旅行一番の恐怖だった。
 
 翌日からの移動は月夜の夜中になった。


ナミビア フィッシュリバーキャニオン

 乾燥の国ナミビアを象徴するような場所にあるフィッシュリバーキャニオン。もう2度と行きたくないと思うほどに暑い。

 僕が行った日も48度。このころ恒例の早朝と夜間のみの移動でやっとの思いでたどり着いたフィッシュリバーキャニオンはアメリカのグランドキャニオンに次ぐ規模の大渓谷ということだった。ただ、グランドキャニオンに行ったことがあった僕にはちょっと物足りなかった。


ナミビア 恩人ヘルマン

 乾燥の国ナミビアで、気力も体力もボロボロになっていたころの出会いだった。彼との出会いが無かったらここで自転車旅行をやめてしまっていたのではないかと思う。それほどの大切な出会いだった。

 事実、このとき中国までの完全走破を目指していた僕の目標が大きくグラついていた。ケートマンズフープという街から、首都ウィントフックまで行く電車に乗ろうかと考えが頭の片隅を過ぎっていたからだ。しかも料金は500円程と言う。ここナミビアでは食事だけで一日1000円は使っていたため、自転車で走ることがアホ臭いとも思えた。そして何よりも死んでしまうのではとも思えるほどの恐怖をこの暑さに感じていたのだ。

 今日もフィッシュリバーキャニオンを朝4時には出発。ここら辺りの水は塩分を含んでいたため 、水道水を汲むわけにはいかなかった。ミネラルウォーターは観光地料金でやたらと高く、地図を調べ次の街までの距離を確認して、水の量を最低の5リットルもって出発した。

 今日もまた車は通らない一人ぼっちの走行だった。そろそと地図上では街がある頃と思いながら走るがいっこうに見つからなかった。僕が目指していた地図上の街は存在していなかったのだ。しかも、その次も、またその次の街も無かった。

 また水が無くなる恐怖が頭を過ぎった。そしてそれ以上に辛いことは地図を信じることが出来なくなった事だった。地図が信用できないということは、水補給の計画が立たなくなる。絶えず大量の水を持った走らなくてはいけないのだ。ただ、大量の水を持つと自転車は重たくなるし、自転車が重たくなると� ��ンクも起こしやすくなるという悪循環がおこった。もう気持ちが折れてしまいそうだった。


なぜ我々は過密ですか?

 ケートマンズフープと言う大きな町まで残り5kmと迫ったころ一台の車が通り過ぎたと思ったら引き返してきた。そのドライバーがヘルマンだった。「乗ってくか?」、彼からの質問に弱りきった僕は即座に「イエス」と答えた。「水を飲むか?」と水筒を差し出すヘルマンに「ただか?」と僕は聞いたらヘルマンが笑っていたことをかすかに覚えている。今考えれば、有料な訳が無い。少しおかしかったのだと思う。大きな水筒の水を一瞬で飲み干してまった。ホテルには彼が案内してくれると言う。友達がホテルを経営しているらしい。そしてたどり着いたホテルはとても立派なホテルだった。僕の一日の予算は500円だから「高くて泊まれない」と言いたいところだ ったが、助けてもらった身分ではそんなこと言えなかった。今日は諦めて泊まることにした。ホテルまで僕を連れてきたヘルマンは少し友人のオーナーと話をし去っていった。

 このホテルの店員のサービスは何か普通とは違った。それほど大きなホテルではないが、やたらと気を使ってくれた。ろうそくの灯りのレストランに案内されメニューが出される。一食2000〜3000円程する料理しかないなかから一番安いメニューを選ぶが運ばれてくる料理は何故かグレードが高い。実際は身体が疲れきっていて食事を受け付けないようになっていた。途中で吐いてしまうほどだったが味は最高だった。久しぶりのまともな食事で十分な栄養が取りたかったため無理やりにも食べた。そして冷房の効いた部屋でバスタブにお湯を入れる。結局、� ��中が日焼けのため痛くて入ることが出来ず、水風呂にして入った。

 夜はいつの間にか寝ていた。朝も4時には自然と目が覚め自転車をこぎ始める毎日とは違い、10時頃まで目を覚まさなかった。不安な毎日から開放され安心して眠れたからだろう。目覚めたとき、僕の見も心も完全にリフレッシュしていた。そしていざ会計へ。ここまで充実した一日には10000円くらいだろうと思う宿泊と食事代も惜しくないと思っていた。しかし、フロントはお金は要らないという。ホテル代や食事代はヘルマンが払ってくれる言うのだ。彼らの僕への特別の配慮も、ヘルマンから頼まれたのだと言う。

 お礼を言いたいが、もう彼はいなかった。お礼の言いようも無い。フロントの女性に彼の住所と電話番号を聞き手紙を数回書いた。彼と撮� ��たこの写真は僕の宝物となった。

 僕が中国まで走ることが出来たのは彼との出会いがあったからだとはっきりと言える。


  

ナミビア ナミブ砂漠

 この旅行中、僕が走った道のほとんどが砂漠だった。
 しかし、そのほとんどは土砂漠。このナミブ砂漠のような砂砂漠はあまりない。そのためとても雄大な景色に感動する。このナミブ砂漠は世界一キレイな砂漠と言われるが、間違いはないと思う。

 そうは言っても砂砂漠の自転車はきつい。道がないところはもちろん、砂嵐という問題があってこれに巻き込まれたらもう悲惨!風に飛ばされてくる砂が身体にあたっていたいし、視界もほとんどなくなって不安になる。これに出会ったらしゃがみ込んで通り過ぎるのを待つしかない。やはり、自転車には向いていない。


 

ナミビア アフリカ食

 南アフリカを出発し2週間、ナミビアの首都ウィントフックで出会ったはじめてのアフリカ食。これで50円。肉抜きなら20円という安さだ。パッカー旅行をしたことがある人なら分かると思うが、安くて旨いものに出会ったときの幸せは語りようが無い。

 白人と黒人の隔たりが色濃い南アフリカとナミビアでは、なかなか黒人の生活を体感することは出来ない。ここまでもずっとハンバーガーなどの白人食だった。そうするとそんな寂しいご飯に150〜300円ほどしてしまう。


 「なぜはるばるアフリカまで来たのだろう?」そんな疑問までよぎってしまう。そんな中で出会ったこの料理は旨かった。ここはバス停。白人は車を持っているのでバスには乗らない。そんなところでは黒人の生活を味わうことが出来る。そんなバス停でであった黒人の一人の家に招待され、遠慮なく着いていった。
 プレハブのような小さな家だった。3畳くらいの部屋が家族団らんのリビング。その小さな部屋には所狭しといろいろ置いてある。そして家族の写真がいっぱいの温かい家族だ。お父さんは教えてくれた。近くにある病院を指差し「こっちが白人病棟、こっちが黒人病棟」と指差す二つは明らかに違う建物だった。
 私達の元に届くニュースではもう昔のはなしと� �ったアパルトヘイト。現実の世界に浸透するにはもう少し時間がかかるようだ。


  
ナミビア 民家への招待

 テントを張る場を探し始めた夕方、偶然会った彼に、テントを安全に張れる場所を教えてほしいと声をかけた。

 彼は快く家の庭にテントを張るように案内してくれた。メイン道路からすぐそばだという言葉を信じ細い道を歩き始めたがなかなか着かない。途中、騙されているのかとも疑ったが何とかたどり着いたのは1時間後だった。彼らにとってはこの1時間がすぐそこだったらしい。感覚の違いは恐ろしいものだ。

 小さな100人くらいの村だが、まずは村長に挨拶を行い写真のように家の庭にテントを張った。トイレは近くの草むらだ。ちょっとトイレと思い、草むらに向ったらトイレ中のしゃがみ込んだ女性と目があってしまった。そんなトイレにお尻を拭く紙など当然無く、教えられていたとおり草をちぎって紙代わりと した。右の食事が彼らのディナー。キャベツオンリーの炒め物に、ウガリ(アフリカの主食でトウモロコシの粉をこねて練ったもの)だ。シャワーと案内されたのは右写真の左奥の策の中。一杯のバケツに水が入っているだけだった。

 夜は村中の子供が集められ、算数の勉強会になった。


ナミビア 天然シャワー

 「旅行中のシャワーは!?」よく質問されるが答えの難しい質問の一つ。なぜならほとんど浴びていないからだ。
 実際はどのように最低限の清潔を保っているかというと、ホテルに泊まればもちろんシャワーがある。しきれいな川を見つければ入ることもある。水道を見つければ、タオルをぬらし身体を拭く。そして、ここ北部ナミビアではもう一つ簡単な方法がある。それが天然シャワーだ。
 恐怖の乾燥の国ナミビアも北部に行けば雨が降った。旅行当初は雨に濡れるのが嫌で、雨を見つければ止まるなどして雨を避けていた。雨が降っている場所は写真のように簡単に見て知ることが出来る。
 しかし、いざ雨に飲み込まれてしまった時、雨に打たれることの気持ちよさを知った。雨は降っても10分ほど。非常に強い雨だ。シャワーと比べてもなんらそん色ないほどの降雨量。そこで思いついたのが雨シャワー。

 一日に2,3度来るこのチャンスを逃すまいと、かばんの中の一番とりやすいところに石鹸を用意。雨を見つけるとまっすぐ雨を目指す。雨の進行方向先端に真っ先にたどり着き自転車を止め、服を脱ぐ。アフリカではパンツも遠慮は要らない。アフリカに公然わいせつ罪は無いようだ。進行方向や雨の規模を間違えなければシャワーを楽しむことが出来る。
 
 ただ予測を間違えると悲惨なこととなる。泡だらけで雨が通り過ぎてしまったときの寂しさ、侘しさは言い表しようも無い。かなりむなしい瞬間であ� ��。


ナミビア 象注意!?

 とうとう来た象注意の看板。動物の出現する地域で、国境でもライオンに備えて持って行けとナイフを渡されたことを思い出す。


 野生動物との出会いにわくわくしながら走っていると道路上には明らかな象のウンコが!しかも200mに一箇所は落ちている頻度。その中にはフンころがしも住んでいてなかなか期待が膨らむが、結局ここナミビアでは一瞬遠くに象を見たことがあったようななかったような。


 その大動物との出会いの期待はタンザニアで果たされた。

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