モンゴル人の顔つきは日本人とよく似ている。お尻に蒙古斑(もうこはん)というあざを持つ赤ん坊がいるのも日本人と同じである。しかし肉とミルクを主食とするモンゴル人は、日本人よりはるかに体格が良く、腕っぷしも強い。彼らは欧州人に引けをとらない体力を持っている。
今回の現地ガイドはトゥブシェーという名の十九歳の男性であった。トゥブシェーは平和を意味しているという。彼は遊牧民の息子であるがモンゴル人にしてはきゃしゃな体格をしており、遊牧の仕事がきついのでガイドになったとか。
モンゴルの子供はよく働く。家畜の世話は子供たちの仕事になっているのか、馬に乗ってヒツジやヤギを追っているのはたいてい子供である。
bolgarian話されている場所
中には五歳ぐらいの子供もいるし、女の子も混じっている。だから子供でもみんなしっかりしている。馬から下りると子供だが、馬に乗っていると立派な遊牧民である。
行きの機内では、日本に住んでいる三十二歳のモンゴル人の男と隣りあわせた。八年前に日本女性と結婚し、今は鈴鹿の自動車工場で働いているとか。
モンゴルには仕事がなくそのため外国へ出稼ぎに行く若者が多い。彼も二十歳のときモンゴルを出て韓国とカナダで働き、奥さんとはカナダで知りあい、姉は現在もカナダに住んでいるという。
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これは彼の嘆きであるが、貧乏国から来た人間にはみんな冷たい。入国審査でもいろいろうるさく聞かれる。モンゴルは好きだが帰りたいとは思わない。モンゴルは仕事がないし、泥棒も多く、子供がいると安心して暮らせない。できれば日本に住みたい。
しかし自動車工場で昇進するには資格を取らなければならない。ところが日本語は読み書きが難しく資格を取ることができない。だからいつになっても同じ仕事ばかりしていなければならない。せっかく覚えた英語は日本では役に立たない。
などと彼の嘆きは尽きなかった。なお私はモンゴルの治安はそれほど悪いとは思わなかった。
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彼は日本では日本食を食べている。するとモンゴル人であっても、帰国して久しぶりにモンゴル食を食べるとお腹の具合が悪くなるという。
帰りの機内では十六歳の女子学生二人と隣り合わせた。二人とも恵まれた家の生まれらしく、一人は柔道、一人はレスリングの修行のため東京へ行くという。おおらかで屈託のない娘たちであった。
遊牧民には農耕民族のような恥ずかしがり屋や引っこみ思案屋はいない。家畜の群れを馬上から見下ろして支配し、それらを追い回したり殺したりしていると、毅然とした人間ができあがるのだろう。ただし男は無愛想な人間が多い。
モンゴルは活力に満ちた民族である。再び世界史の� �で光芒を放つ日が来るかもしれない。
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